【マイストーリー② 幼少期・中編】言語の壁、自己表現できないモヤモヤ感、絵を描く楽しさ、初めての神秘体験etc.

私の人生の出来事とそのときに感じた感情を、そのまま書いていく〈マイストーリー〉幼少期・中編です。

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大國沙織のマイストーリー② 幼少期・中編

日本語学校、習い事、小学校入学

アメリカでは、休日に日本語学校に通っていた。そこでも、本を借りるのが楽しみだった。
貴重な日本語の本に触れられる数少ない機会だった。
女の子らしくない、日本のお化けや妖怪が出てくる気味の悪い本が好きで、よく借りては母に嫌がられた。

日本語が通じるので、よく発言したしよく喋った。授業中に友達と話しすぎて、先生にうるさいと怒られたほど。
(英語力が低かったので、英語しか通じない環境では普段大人しいタイプだった)

様々な習い事もさせてもらった。バイオリン、リトミック(音楽教育)、絵画教室、スペイン語、などなど。
先生は皆優しかったし、どれも楽しかった。

リトミックの教室の帰りに、母が持ってきてくれたお弁当を公園で食べようということになり、テーブルとベンチに広げようとしたら、母がミツバチに刺された。
痛がっていたので心配だったけれど、結局病院には行かなかった。

手当てするために、お弁当は食べずにそのまま家に帰ったので、帰り道はお腹が空いて大変だった。
いつもおにぎりのことが多かったけれど、その日に限ってサンドイッチで、特別感があった。なので、ピクニックできなかったのが余計残念だった。
そんなことまで覚えているなんて、自分の食い意地には呆れる……。

自宅ではディズニーやジブリのビデオを、英語で色々観ていて大好きだった。(実は未だに、トトロなども英語でしか観たことがない。w)

小学校に上がると、幼稚園のときよりもコミュニティが広がり、生きやすくなった。
幼稚園で私をいじめていた日本人の女の子とは、別の学校に行くことになったというのもある。
新しい学校には、日本人は一人もいなかったので気が楽だった。

普通のクラスの他に、インターナショナルクラスという、英語が母語でない子供たちが集まるクラスにも所属した。主にヨーロッパ系、アフリカ系、中東系、アジア系の子供たちがいて、それぞれ、色々な髪の色や目の色をしていた。

レイチェルという金髪ボブの女の子と、一番仲が良かった。明るくて優しくて、とてもいい子だった。
他のクラスにも友達ができて、廊下で通りがかるたびにハイタッチした。

(小学校で撮ってもらった写真。どうしてこんなに態度がデカいのかw)

自分の気持ちを表現できないという、モヤモヤ。

歴史の授業のとき。インディアンを迫害してアメリカ合衆国はできた、という内容を習った。教科書の絵は可愛かったし、アメリカン・ドリームのようなポジティブな面だけ強調していたけれど、私の胸の奥には、言葉にできないモヤモヤしたものが残った。
それを聞いて他の子がどう感じたかに興味があったけれど、英語でどう聞いたらいいかわからなくて聞けなかった。

成績表をもらったとき、担任の先生からのコメントで「授業の内容をあまり理解していないように思えるときがあります」と書いてあり、悔しくてショックだった。

この頃の私は、英語で相手が何を言っているのかは大体、理解しているつもりだった。
ただ、自分の意思表示をするのがとても苦手だった。

伝えたいことは頭の中にあるのに、「えーっと、これは英語でなんて言うんだっけ」と考えているうちに、相手はすでに別の話をしていて、私の返事を待ってくれないということがよくあった。
その度に、自分がないがしろにされているような気持ちになった。

友達とはちゃんとした英語じゃなくても心が通じている感じがあったし、言葉がなくても一緒に遊んでいるうちに仲良くなったけれど、大人に対してハッキリ意見を言うのが苦手だった。

それを求められる機会も結構あったので、うまく自己表現できないたびに落ち込んだ。

交通事故に遭って感じた、人の優しさ。

カンザスを旅行中、父が運転する車に家族全員で乗っていて、大型バスとの接触事故にあった。

初めて、救急車に乗った。

病院に着くと、母だけ打撲による痛みを訴えていたので、検査を受けた。

真夜中だったので病院の照明は落とされていて薄暗く、コンリート打ちっ放しの冷たい廊下で、父と妹と待った。とても不安で怖かった。

優しそうな女性の看護師さんが、私と妹にそれぞれぬいぐるみを手渡してくれた。触り心地が良くて、少し気が紛れた。

ようやく母の検査が終わった。打撲だけでそこまで大したことはない、ということで診察は終わった。

病院を去り際に看護師さんにお礼を言ってぬいぐるみを返そうとすると、「それはプレゼントよ、持って帰ってね」と言って私達にくれた。

初対面の、それももう一生会わないであろう人に対して、こんなにも愛を与えられる人がこの世にいるのか……。と感動して胸が熱くなった。初めての感覚だった。

私はぬいぐるみにはあまり興味を示さない子供だったけれど、その看護師さんの気持ちが嬉しくて、宝物になった。

カナダで川に落ちる

(川に落ちる直前の写真w)

親戚一同が遊びに来てくれて、皆でカナダを旅行した。
赤毛のアンの舞台となった、自然豊かなプリンス・エドワード島に行ったときのこと。

一つ年上の従兄弟と、いつものようにふざけ合って遊んでいた。
そのときも川岸でじゃれあっていて、私がバランスを崩して斜面を転がり落ち、そのまま川にドボンと落ちてしまった。

一瞬のことでびっくりしたけど、浅い川だったので溺れずに済んだ。
夏だったこともあり、冷たい水が気持ちよくて、そのまま泳いでいたい! と思った。

従兄弟が、岸に引っ張り上げてくれた。
服がずぶ濡れになったので母には怒られたけれど、面白かったし楽しかった。
着替えるまでもなく、遊んでいるうちに服はすぐ乾いた。

ナイアガラの滝を見てその大きさに驚いたりもしたけれど、私にとってカナダは川に落ちた思い出の方が強烈。でも、不思議と楽しかった思い出。笑

絵を描くのが、大好きだった。

絵を描くのが好きで、暇さえあれば何か描いていた。
(ほとんど処分してしまったけれど、一部はとっておいてよかったな、と思う。)

学校では英語ができず悔しい思いをすることが多かったけれど、私の絵を見た美術の先生が「あなたにはアートのセンスがある!」と褒めてくれて、とても嬉しかった。忘れもしない、ぶどうの絵。
絵を通してだったら、自分を出せる、という自信になった。

食べ物や、妖怪や人、動物など、好きなものをなんでも描いていた。
色が好きで、何を描いてもカラフルな感じになった。

図書館で借りてきた絵本を見ながら、模写したりもした。
学校の宿題に出る絵日記が好きで、いつも張り切って描いていた。
休日に遊びに行った場所や、食べたものなど、日常のあれこれを書いていた。文章を書く楽しさ、絵を描く楽しさは、もしかしたらこの頃に染み付いたのかもしれない。

また違う授業の時、私が塗り絵が上手だということで「皆に、やり方を教えてあげなさい」と先生に言われた。
「好きなように塗るだけなんだけどな……」と内心思いつつも、線からはみ出さないように塗るとか、いろいろな色を使うと綺麗だとか、それっぽいことを適当に教えた(笑)。

作家、小川未明との出会い

父の知り合いの方のお宅に、お呼ばれすることがよくあった。
特に印象的なのは、お城かと思うほど大きなお屋敷にお邪魔したときのこと。

穏やかそうな日本人のご夫婦が住んでいて、家の中に巨大な螺旋階段があり、何台ものお琴や、それを演奏するためのステージがあった。
迷子になりそうなほど広く、貴族のような家だった。

奥様が「さくらさくら」を弾いて披露してくれた。
母も一緒になってお琴を弾いていて、まさか母にそんな特技があるだなんて知らなかったので、たまげた。

本がぎっしり詰まった、屋根裏部屋に案内してもらった。とてもワクワクした。
日本語の絵本もたくさんあり、私が興奮していると「好きに読んでいいわよ」と言ってくれたので、夢中になって読んだ。
小川未明の「赤いろうそくと人魚」を初めて読み、なんて悲しくて切なくて美しい話なのだろう、とうっとりして胸がいっぱいになった。

それまではハッピーエンドの本しか読んだことがなかったので「こんな救われない物語もあるのか……」と、かなり衝撃が大きかった。感じたことのない、不思議な後味だった。
当時まだ4、5歳ぐらいだったと思うのだけれど、小川未明は今でも大好きな作家の一人である。表現が本当に美しい。

初めての神秘体験

私の住んでいた向かい側の家に、可愛らしい犬が2匹いて、近付くと尻尾を振って寄って来てくれるので、フェンス越しによく撫でに行っていた。

ところが、そこへ行くには道路を渡らなくてはならない。

一車線の道路だったけれど、片側が丘のようになっていて、見通しは悪かった。今思うと子供が一人で渡るのには、危険な道路である。

ある日、そこを一人で渡ろうとして、ちょうど半分くらいまで来た瞬間。

突然車が猛スピードで走って来て、とっさに「あ、ひかれる……!」と思った。

戻ろうか、それか渡ってしまおうかという迷いが一瞬かすめたが、急なことで判断できず、恐怖と焦りで身体も動かなかった。もう死ぬかもしれないと覚悟した。

すると次の瞬間、私は温かい大きな腕に抱き上げられ、気付いたら道路の向こう側にいた。

誰が助けてくれたんだろう、と思って見回すと、なんとそこには誰もいなかった……。

あれは、あのとき私を助けてくれたのは、どう考えても人間ではなかった。

自力で走ってそこまで行けたとも考え難いし、本当に理解に苦しむ出来事だった。

「大いなる存在に守られている」という実感を、私はこれ以降心の片隅に持つようになる。

ちなみにこのことは、親に言ったら怒られそうな気がして言えなかった。

「ダメだ、もう死ぬ……!」と思ったときに謎の存在に助けてもらえるという経験を、私はこの後にもすることになる。けれど、それはまだずっと先の話だ。

【つづく】

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