私は絵を描くことが大好きだけれど、絵を描くことに対するブレーキがいくつかある!
と、最近自分と向き合っていて気付いてしまった。
本当は、もっと自由に、心ゆくままに絵を描きたい。
でも、それを邪魔しているブレーキが多い。
そのひとつが、「自分がネガティブな状態のときは、絵を描くのはよくない」という思い込みだった。
「ネガティブなときは、絵を描くのはよくない」という思い込みの正体。
私は「ネガティブな感情を持ったまま、絵を描くのはよくない」と無意識に思っていた。
作品には創った人の想念がそのまま乗るので、それを観た人が嫌な気持ちになるのでは、結果的に誰かに迷惑をかけてしまうのではないか、とずっと思っていた。
実際、エネルギーに敏感な人が、あるアーティストの原画を観た直後に、急に体調が悪くなったという話を聞いたことがある。
私もどちらかというとそっちの部類だと思うけれど、目に見えないものの影響を受けやすい人もいる。
それに私の感情のはけ口として絵を描くなんて、絵の具や紙や筆にも、申し訳ないと思っていた。
「バタフライ効果」という言葉を、ご存知だろうか。
私は、自分の言動によって世の中が変わってしまうと本気で信じているので、ヘタなことはできないと思っている。
もちろん私だけでなく、人一人の影響力というのはそれくらい大きいものだと思うし、ネガティブな内容を発信するときは細心の注意が必要だと……。
これまで、そう思ってきた。
でもそんなことを言ったら、歴史に残る名画を描いた画家たちはどうなるのか。
彼らだってきっと、孤独や絶望といったいわばネガティブな感情を糧に、作品と向き合っていたことだろう。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチは、次のような言葉を遺している。
「画家は孤独でなければならない。
なぜなら、一人なら完全に自分自身になることができるからだ。
たった一人の道連れでもいれば、半分しか自分ではなくなる。」
私もここ数ヶ月、本やSNSなどの徹底的なメディア断ちをして、人ともほとんど会わず、自分と向き合い、あえて孤独を味わってきた。
だからこそ、自分の内側から、色々なものが溢れてくるようになった。
それを、アウトプットしたくてたまらない。
でも、最近の私は精神的にものすごく落ち込んでいた。「好きなことを仕事にしたい」と本気で思えていなかったことが、あまりにもショック過ぎた。
「これまでに描いた絵を、全部破り捨てたい!」と騒ぐほど、気がおかしくなりかけた。家族は意味がわからなかったらしい。私も、意味がわからない(笑)。
私は、一回落ち込むと割と引きずるタイプだ。
そこから完全に立ち直るまでは、絵を描いたとしても、いいものが描ける訳がない。きっと出来の悪いものができて、また自己嫌悪に陥ったり、絵の具に勿体無いことをした……と罪悪感を感じたりするんだろう、と思った。
でも、やっぱり描きたい……! としばらく悶々とした。
そんなとき、ゴロゴロしながらふとインスタを見ていると、一枚の能天気な絵が目に飛び込んできた。
その絵は、こちらが思わず脱力して気が抜けてしまうような、なんとも平和的な雰囲気を放っていた。
大好きなまゆみさんの絵!
「人生とは、どうせうまくいく風呂に浸かっているようなものである。」って……。
フレーズが名言なのに、イラストのゆるさよ! そのギャップにじわじわくる。w
これをボーッと眺めていたら、ついさっきまでグダグダ悩んでいたことが、一気にどうでもよくなってしまった。笑
そして、今の感情を、素直にそのまま絵にしてみようと思った。(まゆみさん、ありがとー!)
私の感情たち💧🌙🌞🏔💫🌟🌱🌷✨
心の目。
まぶたは、私が世界をどう見ているか、というフィルター。私には、世界は虹色に見える。こんなにも多様性と創造性に溢れていて、なんて豊かなんだろうと感じる。
瞳の中は、心の奥底の風景。降るような満天の星空、そこにかかる三日月、連なる山脈、風にそよぐ木々、澄んだ水をたたえた湖、そこを泳ぐ魚の群れ。清らかで美しい情景が広がっている。
太陽は、私の心の反映。私が余計な思い込み等を手放して、そのままの自分を自己受容できれば、ただ暖かく優しく照らしてくれる存在。
でも今の太陽は、見張り役になってしまっている。私のいらない義務感や思い込み。私が好きなことをやろうとするたびに邪魔してくるし、常にギラギラと監視している。それが苦しくて、心は泣いている。余計なものを、浄化して洗い流すために。
その涙が雨となり、種が芽を出すのを促し、蕾をつけ始めた。イバラに花が咲く日も遠からじ。
という感じのイメージ!
パッと浮かんだものを、ただそのまま描いてみた。
しっかりした紙を探すのが面倒だったので、その辺にあったコピー用紙に描いた。w
私はいつも、写真や絵などのお手本をいくつか用意して、それを参考にしながら描くことが多いのだけれど、今回は「自分の内側から出てくるものだけを、純粋に表現したい!」と思った。
この頃すごい頻度で色々なビジョンが見えるので、それを形にしようと思うと、大変だ。思い浮かんだときに手を動かさないと、すぐ忘れてしまう。
鏡で自分の目だけをじっくり観察しながら、筆を走らせた。
描きながら、自分の瞳があまりにも美しくて感動した。
「うわー、吸い込まれそう……!」と本気で思った。
そこには、無限の宇宙が広がっていた。
皆きっと、自分の目の美しさや輝きを知らないと思うので、ぜひ今度凝視してみてほしい。本当に……!!
これまで「書くことが、自分を救ってくれた」と感じたことは何度かある。
けれど、「描くことが、自分を救ってくれた」と感じたのは初めてかもしれない。
描き終わった頃には、すっかり癒されていた。
絵に乗っているエネルギーも、私が感じる限りもはやネガティブなものではなかった。
出発点がネガティブだったとしても、描いている最中に浄化されていく、ということを実感できた。
むしろこれは、明るい気持ちのときには絶対に描けなかった絵だ。
私の普段の絵はもっとガチャガチャしてうるさい感じなので、こんな静謐さをたたえた絵も描けるんだ! と驚いた。新境地……!
ネガティブな気持ちで描き始めたら、もっと暗い感じの絵になるかと思っていたのだけれど、意外なほどそんなことはなかった。心配のほとんどは杞憂に終わる、というけれど本当にそうだと思う。
心の状態をそのまま絵にすることで、現時点での自己イメージを、客観的に理解することもできた。
やり場のない感情を、「描くこと」を通して昇華できるのは、絵描きの特権かもしれない。
絵描きに限らず、誰でもどんどん絵を描いたらいいと思うし、自己表現したらいいと思う。
仕事になってもならなくても、そんなことはどっちでもいい。
私は描きたいときに、描きたいものを、描きたいだけ描いて、生きていく……!