【超絶本音】自分を偽り、本音で生きていない人に感じる強烈な違和感。

こんにちは、サオリ・デモデーモンです。名前の由来は、二言目には「でも」と言い訳が始まるから(笑)。

先日、超本音の記事を公開してから、反響がすごい。

色々なコメントをいただき、直接メッセージをくれた人もたくさんいた。

「勇気が出た」「共感した」など嬉しい内容もあった反面、読んでてすごくモヤモヤするものもあった。

私が感じたのは、強烈な違和感。

これまでの私だったら、完全にスルーしていた。所詮他人の反応だし、自分の意図したことが100%そのまま相手に伝わるなんて不可能だし、わからない相手には、何を言ってもわからないだろうなと思った。

でも、自分を偽って生きてる人のなんと多いことか!!!!!

そんなことを思いながら悶々としていたら、相川陽介先生から「そのモヤモヤを全部、そのまま書け」と連絡がきた。私は誰にも何も言っていないのに、どうしてわかったのか、すべてお見通しすぎてもうこの程度のことでは驚かなくなってきた。

先生は、いつも「私が一番やりたくないこと」を課題にしてくる。それも超ピンポイントで……。

これを書くのは、ヘタしたら本音の記事より勇気がいるし、マジで心から嫌だが、それをクリアにしないと次に進めないのでやるしかない。

自分を偽りながら、本音で生きていない人に感じる違和感。

私はこれでも一応、数ヶ月間心の修行している身である。

相手が言っているのが「本音か、偽りか」には敏感になってきた。偽りだと、ものすごい違和感を感じる。気持ちが悪い。

つい最近までの自分がそうだったから、よくわかる。自分を誤魔化して生きている人は、皆同じ匂いがする。

たまに、私も偽りが顔を出す。長年の癖は、根深い。心からしょうもないと思う。

だからこそ、そういう人を見ると言いたくなる、無駄だよと。

声を大にして問いたい。それ、本当に「本音」なのか? と。

正直に言う。

私は、求めてもいないのに上からアドバイスしてくる人が嫌いだ。

年齢が上だから? 社会経験が上だから?

私にとっては、まったく関係がない。

善人ぶって、分かったふりして、くだらないアドバイスもどきをしてくる人は本当にしょうもないなと思う。

そのことに本人が気付いていないのが、一番痛々しい。

結局本人が本音で生きていないから、私の真意が、本音が全然伝わっていない。

私が、どうしてダメダメな本音を晒したのか。

「人からよく思われたい」という気持ちと、不安を手放すためだ。

決して同情されたい訳でも、助言が欲しい訳でもない(先にも書いたけれど、共感したり勇気が出たと言ってくれる人は、私の意図を真正面から受け取ってくれているなと思う。素直に嬉しい)。

私は嫌というほど自分と向き合いまくっているので、薄っぺらいアドバイスもどきの内容など、とっくの昔に全部考えたことばかりである。

おそらく彼らは「人の役に立ったような錯覚」を味わいたいのだと思うのだけれど、こちらが求めてもいないのにあれこれ言ってくるのは、ただの押し付けだ。

自分を正論の中に押し込めて、我慢しながら生きているから、他人に対してもそれを強いずにはいられないのだろう。

そうやって生きていて、苦しくないのか?

このエネルギーは「私も苦しいんだから、お前もこのルールの中で苦しめ」と言っているのと同じだ。

「自分は本当はこうしたい」という本音が奥底にあるのに、そこと向き合うと今の自分が否定されるようで怖いから、カモフラージュするために正論を振りかざしたり、ダラダラと「結局何が言いたいの?」という文章を送ってきたりする。

果たして自分の大事なエネルギーを、そんなことに使っていいのか、と問いたい。

そして、同時に人のエネルギーを奪っていることにも気付いていない。

不毛だ。

空気が綺麗な田舎に住んでいる人が、空気が汚い大都会に行ったら「うわ、呼吸がしづらい……」とすぐ感じることだろう。

でも、空気が汚いところにずっと住んでいたら、少しずつ鈍感になり、それが普通になる。当たり前になってしまう。

これまでの私も「自分を偽ること」に鈍感になっていた。それどころか、完全にそれが板についてしまっていた。

自分の本音は、社会的に立派なものでなければならない」と思い込んでいたので、ダメダメな本音を無意識に隠していた。

一体何度、相川先生に「それは本音とは違う。ちゃんと本音を言え」と言われたことだろうか。

見たくないし知りたくなかった、自分の本音。そこと徹底的に向き合うたびに、あたかも血を流すような痛みを味わった。

でも、その度に脱皮するようにクリアになり、どんどん楽になっていっている。

毎回、偽りを捨てることには痛みが伴うけれど、そうじゃないと先に進めないんだな、と痛感する。

そして最近、他人に対しても、本音じゃないものーーつまり「この人、偽ってるな」ということを敏感に感じてしまうようになった。

相川先生のお弟子のまゆみさんや、イタリアのご一行のような、常に本音全開のいわば「本音100%で生きてるサンプル」に触れる機会が増え、より「ニセモノ」を察知するセンサーが敏感になってきた。

「私もダメダメなんです。このままの私でいいですよね!?」的なメッセージにも、違和感を感じてモヤッとする。

これまでの私だったら、「うんうん、全然いいと思います〜そのままで! お互いこのままでいきましょう♪」的なことを生ぬるく返して、別に自分でも違和感も何も感じずに終わっただろう。

私も散々「人に認められたい」と思ってきたので、その気持ちは手に取るように理解できるけれど、これっていくら他人に認められても、結局満たされない。

自分でまるごと認めて、受け入れていない限り。

むしろ、もっともっと! 足りない! もっと私を認めて! とエンドレスループに陥る。喉が渇いたときに、喉を潤そう! と思って海水をいくら飲んでも、余計喉が乾いてしまうのと同じ。

他人に認めてもらって、かりそめの承認欲求を満たして、それが一体何になるというのか。

いくら他人に認めてもらったとしても、肝心の自分が受け入れていないと、意味がない。

でも逆に言えば、自分さえ自分を受け入れればいいので、とてもシンプルだ。

「本音で書いていてすごく勇気をもらった。自分もやってみたい、でもやるのは怖い」とメッセージをくれた人もいた。

「本音を出すのが怖いという気持ち」

そう、それこそ本音!

やっぱり本音には、本音で応えたくなる。(今、偽りにも本音で応えてるけどw)

どんなにダメダメで情けないと思うような本音でも、とことん出し尽くして、自分で全部受け入れないと、その先には進めない。

私はこれから、さらに新しい世界を見に行きたい。

だから、この記事を機に「いい人に思われたい自分」「善人ぶりたい自分」を捨て去ることにする。

結局それって、自分のためにも相手のためにもならないから。

余計な偽りを捨て、本来の自分を生きる。

まず、私がそのモデルになる!!!!!

▼偽りを捨てたい人に見てほしい、相川先生の動画

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