【衝撃!】本の虫の私が、人生ではじめて「読書断ち」という苦行をしてみて気付いたこと。

こんにちは、サオリ・ムダムンダです。名前の由来は、ムダな思考と雑念が多過ぎるから(笑)。

いま私は「人生史上、最大の試練に挑戦中である」と言っても、けっして過言ではない。

それは、半年間、一切の本を読まないこと……!

これまで、本を読まなかった日は一日もないし、カバンには常に何冊か本が入っていないと落ち着かない。飽きっぽいので、色んなジャンルの本を何冊も同時進行で読むのが大好き。

「本の虫」
「本の変態」
「本キチガイ」
「活字中毒者」

すべて、過去に私が実際に付けられたあだ名だ(言っている本人はディスっているつもりかもしれないが、私はどれも気に入っている!)。

さて、そんな本ラブ❤︎な私が、なぜあえて「本を読まない」という苦行のような挑戦をしているのか!?

このチャレンジは思った以上に過酷で、ストレスのあまり、2週間で5㎏も太った。誤字ではない(笑)。辛すぎる。断食や、滝行の方がよっぽどマシだ……。

でも、体重以外にもかけがえのないものを手に入れることができた(体重はマジで減らしたいw)。その過程と、気付きをまとめようと思う。

本の虫の私が「半年間、読書禁止令」を言い渡されて。

▼バンコクで、相川陽介先生とセッションをしたとき、色々なことを言われた。詳しくはこの記事に。

そのひとつが、「半年間、一切の本を読まないように」ということ。これには衝撃だった。

理由は「あなたは他人の考えや情報をインプットし過ぎだから、自分と向き合うのに邪魔になる」と。

本には、答えは書いていない。自分のことは、自分の内面と向き合うことでしかわからない、と。

これまで読書は、良かれと思ってしていたのに……。むしろ、自分をよりよく知るために、と本を読んでいた節もあった。

嫌すぎて、必死に抵抗した(笑)。

往生際悪く「古典もダメですか? 料理本は? 雑誌は? 絵本は? 画集は?」と食い下がった。

あっさり、全部ダメと言われた。文字が全然ないような本まで、NGとは……(ちなみに映画もダメらしい)。

これまで時間さえあれば本を読んできたのに、一体私はどうやって過ごしていけばいいのだろうか。

でも、いま私は自分の人生に本気で向き合いたいと思っているので、やるしかない。

自分の生き方に対して、行き詰まりを感じていたし「これまでのパターンを壊すために、やってみよう」と思った。

自分の言葉が、出てこない……。

私の課題として、ブログに自分の葛藤や恥ずかしい部分をありのままに書くように言われたのだけれど、それが想像以上に難しくて苦労していた。

「人によく思われたい」「いい人に見られたい」という思いを手放すのには、それが一番早くて効果があると(これについても、詳しくは前の記事に書いた)。

でも、いざパソコンに向かうと、出てくる言葉、言葉がどれも借り物っぽくて、嘘っぽくて、自分で気持ち悪くてたまらなかった。

これは私の言葉ではない、誰かの言葉をどこかから引っ張ってきて繋げただけだ、しっくりこない、ハリボテ感がすごい……。

こうなってしまった原因は、明らかに本の読み過ぎだ。もう、認めるしかない。

私からアウトプットされる言葉の多くは、誰かからの借り物の言葉だった。

仮にも編集者やライターとして仕事をしていた身としては、本当に恥ずかしいし認めたくないけれど……。

「こういう言い方をしたら、喜ばれるだろうな」と考えて書く癖がついてしまっていて、それが自分のブログでも「こんな表現をしておけば、読者に嫌われなさそう」といういわば保身になってしまっていた。

別の言い方をすれば、読者に媚びていた。

でも、「この人なんか嘘っぽいな」というのは、客観的に見るとわかる人からはわかるようで、私は稀にそういう指摘を受けた。

「あなたの言葉は薄っぺらい、綺麗事に感じる」等々。

でも当の私はそんな自覚がまったくなかったので「いやいや、私本音で書いてるけどな……」と思っていた。いちいち人の言うことを気にしていても仕方ないし、と思い、聞き流していた。

そんなことを度々私に言っていた彼女は、先日バンコクの記事を公開した際、「やっと本当のあなたに会えた感じがして嬉しい!」と言ってくれた。

本を読むのを辞め、自分と向き合ったからこそ、書けた記事だと思う。

でも、私にとって「本を読まない」というチャレンジはかなり壮絶だった。今も少なからずそうだ。

私は、本に「依存」してしまっていた

子供の頃から、本が大好きだった。

家族や親戚には「プレゼントをくれるなら本が欲しい!」と伝えていたので、本以外のものを貰った記憶がない。

転校ばかりで友達がなかなかできなかったので、本が友達だった。

大人になってからも、自分に自信が持てないとき、足りない部分を本を読むことで埋めようとしていた。

本さえ読めば、自分の血肉になる、完全に自分のものになると信じて、自分以外の何者かになろうとして、毎日何時間も、貪るように本を読んでいた。

「自分よりもすごい人」のエキスをできるだけ吸収しようと、躍起になっていた。

読めば読むほど、世界はまだ自分の知らないことばかりで、もっと勉強しなければ、学ばなければという不安や焦りに駆られたし、自分の不足している部分や欠点がどんどん明るみになった。

だから、必死に読んでいた。

毎日のようにAmazonの箱が届いたし、図書館に隔週で行き20冊借りては全部読んで返す、ということをしょっちゅうやっていた。

本屋さんにも頻繁に通い、取りこぼしがないように、ありとあらゆるジャンルの本を時間をかけてチェックしていた。

毎年各出版社から出される目録を何冊も貰い、読みたい本、気になる本にふせんを貼りまくった。それを、少しずつクリアしていくのが喜びだった。

学生のときも、出版社で働いているときも、フリーランスになってからも、鬱っぽくなって働けなくなっても、変わらず「本を読むこと」が私を支えてくれていた。

少しでも世の中に読まれている、話題になっている本は、自分も目を通しておかないと落ち着かなかった。

何もやる気が起きないときでも、不思議と本だけはいくらでも読めた。

自分に今できるのは「本を読むこと」だけだと思い、ひたすら読んでいた。

私に新たな視点をくれる光のような存在だったし、一番の気晴らしでもあった。

だから、自分にとって読書がマイナスになっているとは、これっぽっちも思っていなかった。

「本さえ読んでいれば、私は大丈夫」と思っていた。

本の読み過ぎによる弊害に、まったく気付いていなかったのだ。

本を読めないことが、こんなに辛いなんて

だから、先生に「半年間、本を読まないように」と言われたとき、びっくりした。

私は、本の

「モノ感」
「存在感」
「雰囲気」
「デザイン」……
もうすべてが好きなのだ。

本のずっしりとした重さ、厚み、装丁の芸術品のような美しさ、ページのサラッとした質感、それぞれ違う文字のフォントや、添えられた挿し絵、そういったすべてのモチーフが、愛おしくてたまらない。

本を手に取る、ということは、私にとって一番幸せを感じられること。

未知の本を読み始めるときの期待と高揚感、ページをめくるときのドキドキ感、読み終えたときの満足感、余韻に浸るときの恍惚とした感じ。

そんなものまで、手放さなくてはいけないなんて。

私の一番の楽しみを奪うなんて、正直「先生、鬼だ……!!」と本気で思った(笑)。

相川先生はよく「自分のエネルギーが現実化するから、気分良くいることが何よりも大切だ」と仰るけれど、私は読書しているときが一番気分がいいのに……!

本を読むことは私にとって、ごはんを食べるのと同じくらい、心の大切な栄養だと思っていた。

本を読むと、自分の視野の狭さに気付かされ、世界がパッと明るく広がる感じがした。

よりクリアに、この世界というものを捉えられるようになる気がした。

けれど、それと同時に、本というものに依存することで、私は自分の頭で思考すること、自分の感情を感じること、自分と向き合うことを放棄してしまっていたのだと思う。

本から離れてみて、気付いたこと

そう、「本当の自分と真っ向から向き合うこと」から、ずっと逃げていた。

本を読むのを辞めてみて、自分がいかにこれまで他人の言葉で語り、話し、発信をしてきたかということに気が付いた。

これも、あれも、全部そうだ……。

本当の、私の内側から湧き上がってきた言葉ではない。

ブログを書こうとすればするほど、それに気付かされ、消しては書き直しを繰り返し、一向に進まなかった。ネタは山ほどあるのに。

しまいには、自分がいかに薄っぺらくて「自分以外の誰か」を演じようとしていたかを痛感し、自己嫌悪に陥った。

これまでの自分はなんだったんだろう……、と唖然とした。

もちろん、本心から出た言葉もあったと思う。

けれど「こんな人だと思われたい」という気持ちが常に無意識にあり(指摘されるまでまったく気付かなかった)、それが強いあまり、肝心のことを言わなかったり、オブラートに包んだり、キレイな部分しか書かなかったりした。

「本音を言うと嫌われるのではないか」という保身があった。

本を読まなくなってから、痛いほどそのことに気付かされた。「ああ、これか……」と、何度も思った。

今も、ネガディブなことをブログという誰でも閲覧できる場で吐き出すことに、抵抗がない訳ではない。

ドロドロしていてブラックな側面を見せてしまったら、どう思われるだろう、という恐れ。

自分のそういう葛藤を言語化することで、直視することも怖かった。

でも、その不安からはかなり解放されたな、と思う。

100%本音の、この記事を書いたことで。

欠乏感から、過食に走る

とはいえ、本を読めない欠乏感は、かなりしんどかった。

大げさでなく、私の人生から、光と彩りが消えたようだった。

虚無感にも襲われた。

こういうとき、これまで「本に逃げていた」し、「何かを読むことで気を紛らわしていた」な、と思った。

徹底的に自分と向き合った。

ノートに、自分の葛藤やモヤモヤしていることを書きまくった。

それでスッキリすることもあれば、それだけでは解消できないときもあった。

本が読めない精神的欠乏感を「食べること」で埋めようとした。

なぜか、深夜に食べたくなることが多く、夜食にハマった。

本は夜に読むことが多かったから、そのせいかもしれない。

タイに行ったとき、スーパーで食材を大量に買ったので、タイ風の料理ばかり作っていた(色々美味しかったので、あとで別の記事に載せる!)。

冒頭にも書いたけれど、食べ過ぎて、2週間で5㎏も太った(汗)。

人って、短期間でこんなに太れるんだ、とびっくりした。

頰の内側に肉がついたからか、食べているとよく噛んでしまう、痛い……。

顔が丸い。家族と目が合うたびに、なんか丸いと笑われる(笑)。

今ショートヘアだから、余計目立つ……。

「食べる」以外にどう心の穴を埋めていいかわからなくて、全部食欲にぶつけていた。

学生時代、過食と拒食を繰り返していた頃のことを思い出した。

一ヶ月経って、ようやく食欲も、本が読めない欠乏感も落ち着いてきた。

最初の方は、とてもじゃないけどブログを書くどころではなかった。

それにしても「一ヶ月間、まったく本を読まない」なんて、生まれ〜て〜はじめ〜て〜だ。

アナと雪の女王だ!

そして私の中で、思っていたよりもずっと早いスピードで、嬉しい変化が起こった。

一ヶ月間本を読むのを辞めて、起こった変化

最初の二週間ぐらいはただただ「本が読めない」ことが辛かったけれど、少しずつその効果が出てきたように思う。

自分の言葉が、出てくるようになった。

「あ、これは私の言葉じゃないな」という違和感に敏感になった。

言葉が素直になってきた気がする。

文章表現の幅は、広ければ広いほどいいとは思う。その分、たくさんのことを伝えられると思うから。

けれど、あくまでも自分の心とぴったり一致する言葉、心の奥底から湧き上がってくるそのままの言葉、自分で書いていてしっくりくるなぁ、と心から感じられる言葉を紡いでいきたい。

一度気付いてしまった以上、もうそういう風にしか書けない。

取り繕って、自分ではない何者かになろうとしたり、自分を偽って言葉を発することに対する気持ち悪さや、猛烈な違和感を無視できなくなってしまったから。

本音からの言葉を発したい。

その気持ち良さ、爽快感、清々しさを知ってしまったから……。

こんなにも、自分と深く向き合えているのは初めてなので、毎日発見があって楽しい。

ちなみに本だけでなく、他人のSNSやブログも極力見ないようにと言われたので、そうしている。ネットでの実用的な調べ物はOKなので、うっかり飛んでしまうことはあるけれど。

けっして、本が悪いわけではない。私の付き合い方が悪かった。完全に依存してしまっていたから。

これまで本にたくさん助けられてきたので、本に対しては「ありがとう」という気持ちでいっぱい。

本がなかったらきっと、生きてこられなかった。

今は一時的に距離を置いているけど、またいつか再会したとき、まったく違う付き合い方、読み方をするんだろうなと思う。それも楽しみ。

しばらくは、とことん自分と向き合いたい。

瞑想をしてみても、雑念がどんどん湧いてきてしまって全然ダメだった私にとって、この方法はとても良かった。

自分の感情や、今どうしたいのかが、その瞬間に感じられることが増えてきた。

外側からの情報のインプットを一旦止めてみることで、きっと本当の意味で自分と深く繋がれるのかもしれない。