【超本音】私はダメ人間だ。仕事したくないし、何もやる気が湧かないし、一生結婚できないかもしれない……。

こんにちは、サオリ・デモデーモンです。サオリ・ムダムンダから降格? しました。名前の由来は、二言目には「でも」と言い訳が始まるから(笑)。

ああ、次こそは昇格したかったのに……。まだ、ムダムンダの方が良かったわ!(意外と周りから好評だったしw)

今回も、かの相川陽介先生に命名されたのだけれど、それと同時に色々な(耳の痛い)ご指摘をいただいた。

度々ブログに書いているけれど、私は、先生の元で昨年の9月から心の修行をしている。その詳しい経緯は、この記事↓に書いてあるので今回は割愛。

先生とお話しする中で、これまで自分を偽りまくって生きてきたことに、これでもかというほど気付かされた。なので、私なりに「偽り」を捨てようと取り組んできたつもりだった。

ここ数ヶ月は、これまで言えなかった本音をオープンにできるようになったと思っていた。けれど、実は私は、何も変わっていなかったのだ。

少しは進歩・成長したのでは? と思っていたけど、まったくそんなことなかった。

結局、最初の同じところに戻ってきてしまった。

それを痛感したとき、超ショックだった。自分に失望だ。

認めたくないけど、もう認めざるを得ない。

※この記事は、私のダメなところをひたすら書いているだけの超ネガティブな内容なので、そういう話題が苦手な人や、影響を受けやすい人は読まないことをおすすめする。

と書きながらこれも保身だなと思ったけれど(笑)、消して書き直すのは「自分を偽る」ことになるので、そのまま残しておく!

自分のダメダメっぷりを、余すところなくさらけ出す。

私は、これまでに比べたら十分本音を書けるようになったつもりだったけれど、まだ全然出せていなかった。確かに、これまで出せた部分は、ほんのごく一部だ。

まだまだ、保身に走っていた。自分を、守ろうとしていた。

「これぐらいなら、書いても大丈夫だろう」と、どこかで人の反応を気にして書いていた。

結局、私の課題である「人からよく思われたい、認められたい気持ち」を手放せていなかった。

「周りからどう思われるか」を気にしすぎて、エネルギーを消耗して、何もやる気が出ない無気力ループに陥っていた。

ということで、今回の課題は「自分のダメだと思うところや、感じている不安をありったけアウトプットする」こと。

それをありのまま晒すことが「人からよく思われたい」を手放すのに最も効くらしい。ああ、なんて荒療治なんだ……。もうやだー!!!!!笑

私には、ダメなところだけでなくいいところもあるはずなのに、なぜわざわざダメな部分だけをピックアップして載せないといけないのか! と思った。

でも、一生このままなのはもっと嫌だし、死んでも嫌なので、本気でやる。自分のダメな部分、恥ずかしい部分を、ありったけ全部出し尽くす。

書き終わって公開したら、さぞかしスッキリするだろうな! なんかもうヤケになってきたぞ!w

ちなみに、この記事を公開するのはものすごく勇気がいる。

以前、何か別の文脈で「勇気が出ません」と相川先生に伝えたところ、「勇気が出ないなら、出せばいい」と言われたことがある。意味がわからない、論理が破綻している、滅茶苦茶だ。w

でも、相川先生は声のプロなので、なんか先生に言われると「そうか」と納得してしまう。恐ろしい人である。

だから、今回も出せる限りの勇気を出してみた!!

私はダメなところが山ほどあるダメダメ人間なので、きっとかなり長い記事になるだろう。読む人は覚悟して読むように! (結果的に7,777字になったw)

すぐやる気が失せて、どんな仕事も続かない。

私は、とにかく根気がない。中学の頃、運動部だったにも関わらず、自分の行きたいときしか参加しなかったので「根性がなっていない」とよく怒られたものだけれど、その頃からまったく変わっていない。

私は今、何も仕事をしていない。

ちょっとしたことで「もう無理!」と嫌になってしまうので、続かないのだ。そんなことを繰り返していて、すっかり疲れてしまった。仕事をするというエネルギーが、今まったく湧いてこない。

私は、さっきまでやる気に満ち溢れていたとしても、あるポイントを突かれると途端にやる気が失せてしまう。しかも、自分でもそのポイントがよくわからないので、厄介だ。避けようがない。

そういう意味で、私のモチベーションは、これ以上ないほどにデリケートだ。あまりにも気まぐれで繊細なので、もうどう扱っていいかわからない。

仕事をしていると「嫌になるポイント」がとても多い。ワガママすぎて、自分のことながら嫌になる。

絵も文章も料理も、それ自体は「心から好きだし、やっていて本当に喜びを感じる」のに、人とのやりとりで何かが引っかかるとそればかり気になったり、機械が苦手なので、その度に技術面でつまづいて心が折れたりする。(未だに、プリンターやスキャナーすらうまく使えないw)

頭では「大人なんだから、社会人なんだから」と言い聞かせるも、心がまったく言うことを聞いてくれない。

例えば「こんな絵を描いてほしい」という依頼があったとして、最初は喜んで取りかかるのだけれど、「これをこうしてくれ」という要望が増えてくると、だんだん嫌になってくる。好きに描かせてくれ! さもなくば、自分で描け! と思ってしまう。ひどいw

クライアントがそういう注文を逐一付けるのは当然のことなのに、感情がついていかない。一気にやる気が失せてしまう。それで、引き受けたにもかかわらず、途中でお断りしてしまった案件もある。

ライターの仕事に関しても、あまりにも修正が多いと、嫌になってしまう。修正が多いともうそれは私の文章ではなくなるし、私が書く意味がないのでは、と思ってしまう。

とはいえ私も編集者をしていた頃は、ライターさんの文章に何箇所も赤を入れていたので、相手方にそう思わせてしまっていたことだろう。(因果応報か……)

これまで紙もwebもいくつかの媒体で書かせていただいたけれど、どれも長続きしなかった。

全く修正が入らずにあっさりOKが出る場合も、結構あった。それならいいのでは? と思うかもしれないけれど、それはそれで退屈で飽きる。寄稿だと、ブログと比べて反応が薄いのもつまらない。超ワガママだw

一ヶ月に何本納品してほしい、という縛りがあるのもキツい。気分が乗らないときに無理矢理書こうとすると、とてもエネルギーを消耗する。結局いい文章が書けなくて自己嫌悪になるし、かなりしんどい。悪循環。

結局私は、自分の気分が乗ったときに、好き勝手に書いていたいのだ。だから、自分のブログで書くのが一番ラクという結論に落ち着いた。

料理の仕事に関しても同じだ。

私は料理自体は大好きで、するなと言われても毎日したいぐらいだが、計量は好きではない。元来大雑把な性格なので、性に合わなすぎて、発狂しそうになる。笑

毎回、レシピ提供の仕事が終わるたびに、ストレス発散しないとやっていられないぐらいだった。

そんなだから当然、続く訳がない。

飲食店やったら? とか料理本出したら? と言われることもあるけれど、なんだかピンとこない。料理教室をやったこともあるけれど、これも性に合わなかった。(アシスタントをすることはあるけど、それぐらいがちょうどいい)

食の仕事ならこれが王道、みたいな型にハマろうとすることに、とても違和感を感じる。

それでしっくりくる人は全然いいと思うのだけれど、私にはしっくりこないのだ。どんな仕事も、自分にあったやり方があると思うのだけれど、まだそれを見つけられていない。

「好きなことを仕事にする」って超難しいな、と思う。

仕事をしていない今でも、私は毎日料理をし、絵を描き、文章を綴っている。本当に好きなのだと思う。

だからそれを仕事にできたら理想と思うのだけれど、うまくその形を思い描けない。

今のままでは、ただの社会不適合者だ。

この調子で自分のダメなところを逐一説明していたら、キリがないので、箇条書きにする。

・大雑把
・詰めが甘い
・すぐ飽きる
・根気がない
・落ち込みやすい
・引きずる
・気が変わりやすい
・忘れっぽい
・きちんとするのが苦手
・事務的なこと、細かい作業が苦手
・人の話を聴けない
・面倒くさがり
・考えすぎて動けなくなる
・整理整頓ができない
・時間にルーズ
・メールの返事が苦手
・超夜型
・食欲をコントロールできない

こんなところかな。笑

でもこれも私なので、全部受け入れるしかない!

認めたくない、自分の本音。

最近気付いたことは、「頭の声」と「本音」は違うということ。

私は今仕事をしていないし、会社を辞めてからもう三年ぐらい実家に住んでいるので、経済的に親に依存している。

この状態は自分でも死ぬほど嫌だし、どうにかして早く完全に自立したい。

そう本心から思っていると、ずっと思ってきた。

でも、相川先生の指摘は違った。

頭では「自活したい」と思っているし、口ではそう言いつつも、本音ではしたくないのだと。

これを受け入れるには、かなりの時間がかかった。

そんなことない! だからこんなに必死なのに……! と思った。

でも確かに、本当に自活したいのなら、お金を自分で生み出す方法なんていくらでもあるのだから、とっくにしているはずだ。

悔しいけど、この事実はもう受け入れるしかない。

理想は「新たにお金を生み出しまくって、結果的に人の役にも立って、世界中自由に飛び回りたい!」と思う。でも「そこに達するには、まず今の本音を受け入れるのが先だ」と先生に言われたので、真っ向から受け入れる。

それにしても、自分の本音と向き合うのはこんなにハードだとは、夢にも思わなかった……。壮絶だ。ドロドロした、見たくない本音がたくさん出てくる。

こうして書いていると、これまで気付かなかったことにもどんどん気付いてしまう。

しかし私はもう、地獄の釜の蓋を開けてしまった。後戻りできない。こうなったら、徹底的に向き合うしかない。

仕事に対してネガティブな理由。

どうしてこんなにも仕事に対して前向きになれないのだろう、と深掘りしていて、思い当たったことがある。

あまりにも、仕事に関してネガティブな記憶が多すぎて、それがトラウマになっているのだ。

大学時代の始めは週7回バイトしていて、心も体もクタクタだった。もうさすがに限界だ、となっていたある日、自転車に乗っていて交通事故に遭った。

車と衝突した瞬間に、思ったこと。「ああ、もうこれでバイトに行かなくて済む……!」

今思うと、異常だ。辞めたいなら、そう口にしてさっさと辞めれば良かった。その勇気がなかった。

燃え尽き症候群のようになり、一年間、ほぼ大学に行けなかった。丸一年分の単位を全て落とした。

その後どうにか回復し、三年で頑張って単位を取れたので留年せずには済んだ。でも、もっと早く辞めるという決断をしていれば、一年間も棒に振らずに済んだと思う。

そんな痛い目に遭ったのに、私は会社に就職してからも同じことを繰り返した。

身体が動かなくなり、生理が止まり、味覚を失い、涙が止まらなくなり、欠勤の電話さえかけられない……という状態になるまで、仕事を辞められなかった。

身体と心は悲鳴を上げ続けていたのに、それを尊重してあげられなかった。

何日か無断欠勤した。そうしたら、さすがにクビになると思ったから。自分の口に出して「辞めたい」と言えばよかったのに、どうしてもそれができなかった。もし辞めることを反対されたら、自分の意志を貫き通す自信がなかった。

考えてみると、私はどんな場面でも、本音を飲み込んで生きてきた。

口にするという勇気がなかった。自分のことをまったく大切にできていなかった。毎日、自分を虐待しているに等しかった。

今、何もやる気が出ないというのは、そのツケなのかもしれない。

一体、私は何回同じことを繰り返したら気が済むのだろうか。

きっと、このネガティブなイメージを手放さないまま新しい仕事をしても、同じような結果を生むだけだと思う。

それがまだ怖くて、私は仕事をする気になれないのかもしれない。

実際フリーランスになって、焦りから行動したことは何度もあるけれど、そんなものがろくな結果に繋がるはずなかった。

本当は「お金を新たに生み出すこと」と、過去の仕事の辛い記憶というのは、まったく関係がない。

私が、勝手にその二つの事柄を、強く結び付けてしまっているだけだ。

過去のことは、あくまでも過去でしかないから「今、どうしたいか」ということとはまったく何の関係もないはずなのに。

この自分でかけてしまった呪いを、解きたい。

悪いことばかり書いてしまったけれど、仕事を通して喜びを感じた瞬間も、もちろんある。

本当は、仕事ってこの上なく楽しいもののはずなのだ。地球上で唯一人間だけに許された、高次元な遊びかもしれない。

恋愛に対する不安

恋愛に対する不安も、ものすごくある。それを手放せ、とずっといわれている。不安のエネルギーは、それに見合った現実を引き寄せるだけだから、と。

実はこれまで、お付き合いしても一年と続いたことがない。このまま結婚できないのでは、と不安になる。

私が相手に素を見せるということができず、常に無理をしていたので、一緒にいて疲れてしまうことが多かった。

本音を言ったら嫌われる、と思い込んでいた。自分の綺麗な部分しか、見せられなかった。疲れて当たり前だ。

しばらく恋愛はいいや……と思い気付けば、もう7年以上まったく恋愛をしていない。

口では「彼氏が欲しい!」と言いながら、明らかに私は、恋愛沙汰になることを避けてきた。つい最近まで、自覚できていなかったけれど。

おそらく今の私には、相手を受け入れる体制が整っていない。

私が、本当の自分を受け入れていないからだ。自分のことさえ受け入れられていない人が、他人を受け入れられる訳がない。

でも、いつかは結婚したいし、子供も欲しい。

一人旅をしてわかったけれど、やはり一人で味わえる喜びには、限界がある。私は、喜びも悲しみも誰かと分かち合いたい。

20代後半あたりから、出産する夢をよく見るようになった。痛みもちゃんと感じるし、起床すると全身が疲れ切っているし、とてもリアルだ。そして、いつも感動する。身体が、新たな命を生み出すことを望んでいるのがわかる。

「お母さんが全然恋愛しないから、早く地球に生まれたいのに、生まれられないじゃん!もう!」と、私の未来の子供らしき赤ちゃんに、空の上から真っ赤な顔で怒られたこともある。ただの夢とは思えない。w

早く、ありのままの自分を全部受け入れて、他人のことも受け入れられるようになりたい。

自分ともっと深く繋がって、人とも深く繋がりたい。本音でぶつかり合いたい。

私には、それができると信じている。

そうなったとき、きっと自分にふさわしい相手と、自然と出会えるのだと思う。

本当は、海外に行きたい。

海外(特に欧米)にいた方が、私は気持ちが楽だ。これは、子供の頃の3年間をアメリカで過ごしたことが大きいと思う。

頭も心も不思議とクリアになって「考えても仕方がないムダなこと」を考えなくなる。前向きなアイディアも湧いてくるし、何よりも自分らしくいられるな、と思う。

海外にいると、やりたいことや仕事のアイディアもたくさん思いつくのに。

日本に帰ってくると、私は途端にいつもの思考停止モードに戻ってしまう。

まるで、零時を迎えてあっけなくカボチャの馬車の魔法が切れてしまった、シンデレラの物語のように。

「このまま全てがうまくいくんじゃないか!?」という希望に満ち溢れていたあの時間は幻だったのか、といつも思う。

今の私は、自分が確立できていない。周りの雰囲気に流されてしまっている。

海外では、英語もろくに喋れないくせに「自分の本音で生きる」ということが、割とたやすくできる。

英語を喋るのに必死なので「他人からどう思われるか」を気にする余裕が、まったくないというのもある。笑

日本にいると、それがとても難しい。周りの目を気にして生きている人が多いから、どうしてもそれに飲まれてしまう。

濁流に逆らって泳げといわれているぐらい、今の環境で自分を持ち続けるのは、私にとって困難だ。

なので本当は、しばらく海外に行った方が自分のためになると思う。

でも、お金がないと海外に行けない、というジレンマがある。

ワーホリをすることも考えたが、思った以上にまとまった額が必要だったのと、向こうで働くという気に今はどうしてもなれないので、難しい。

海外にいると、私は「自分が好きな自分」でいられるけれど、本当は地球のどこにいたって「私は私のことが大好き!」と胸を張って言えるようになりたい。

私がなりたいもの

(オーストラリア・ケアンズにて満点の星空と!)

ここまで読んで、この人発達障害とか分裂症なんじゃ、と思う人もいるかもしれない。HSPなのでは? と実際に言われることも結構ある。(特徴をチェックすると、割と当てはまるなとは思う)

それ鬱だよ、病院に行った方がいいよ、と言われたこともある。

本人はきっと親切で言ってくれているのだろうけれど、私にとっては、わざわざ病名を付けることは何の意味も持たない。自分を無理矢理そうやってカテゴライズすることには、興味がない。

ただ、こんな自分をどう受け入れるか、どう向き合っていくのか、それだけを考えたい。

私の生き方があまりにも定まらないのを見るに見かねたのか、最近父に「沙織は一体何になりたいんだ?」と聞かれた。

「私は、何者にもなりたくない。私は死ぬまで、ただ私として、大國沙織として生きていく」とだけ答えた。

紛れもない本音だった。

それを聞いた父は「おお、コジコジの境地だな…」と感動していた。予想外の反応w

コジコジとは、さくらももこさんの漫画に登場するキャラクターで、愛らしくも謎の宇宙生命体である。

コジコジのすごいところ。

それは、「自分が自分であること」に100%安心しきって生きていること

コジコジは、ただ食べて寝て遊んで暮らしているだけだし、ダメダメなところもたくさんあるが、それをすべて受け入れている。

というか、そのままのありのままの自分で、ただ生きている。自分をよく見せようとすることもなく、偽ることもなく。自分のダメなところを、ダメとすら思っていない。無理をしないから、周りから呆れられながらも、結果的に愛されている。

私は私だし、コジコジはコジコジなので、どんなに逆立ちしても残念ながら私はコジコジにはなれないが、彼? の生き方に学ぶところはとても多い。

該当の部分は、Amazonのなかみ検索↑で無料で読めるので、ぜひ読んでその生き方に触れてほしい。

自分のダメなところを、全部まるごと受け入れる。

認める。

諦める。

開き直る。

どんなにダメダメな本音だったとしても、ちゃんと自分の本音の声に耳を傾ける。

そうすることでしか、きっと道は開けない。

自己嫌悪に陥って動けなくなるのは、もう終わり。

客観的に見たら、私もコジコジに負けず劣らず、ヘンテコでヤバくて面白い生き物だと思う。ダメ人間だけどw

自己嫌悪になる必要なんて、本当はない。

人間も皆一人一人が、自分の全てを100%受け入れて生きていけたら、世界は平和になる気がする。

まずは自分から……!!!!!